- 鎮座地
- 宮城県大崎市古川塚目屋敷118
- 御祭神
- 伊邪那岐神 伊邪那美神 家津御子神
- いざなぎのかみ いざなみのかみ けつみこのかみ
- 由緒
- 大崎氏の家臣青塚左衛門尉吉春が、青塚城にいた際弘仁元年(810年)氏神として紀州の熊野社を勧請したものと伝えられる。
大崎氏滅亡後は、村民の守護神として崇敬されている。かつては塚目・米倉・古川と三所にて祭事が行われていた。
現在の本殿は昭和33年6月18日に造営されたものである。この鎮座地は旧古川市唯一の中期古墳の上で、志田国造志久麻彦命の墳墓であると伝えられており、昭和49年4月27日青塚古墳として市指定文化財となっている。
- 祭典日
- 1月 1日 歳旦祭
15日 どんと祭
- 4月 18日 春季例祭宵祭
19日 春季例祭
9月 18日 秋季例祭宵祭
19日 秋季例祭
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- 末社
- 愛宕神社
稲荷神社
不動尊
- 青塚古墳
- 青塚古墳については、古くは「奥羽観蹟聞老志(1719)」にその存在が記載されています。
この古墳は、大崎平野のほぼ中央に位置し、江合川や支流の旧地形路が形成したとみられる自然堤防上に立地する古墳であり、主軸の全長が約90m前後と考えられる東北地方でも屈指の大型古墳です。
古墳の形態は、一見円墳状の高まりが認められる程度ですが、南側に前方部が張り出す前方後円墳との可能性が考えられ、前方部が後円部に比べ著しく低いのが特徴であると推定されます。
現在前方部と考えられている場所は人為的な削平を受けており、ほとんど前方部の痕跡が認められません。
昭和33年に熊野神社を再建する際の発掘調査では主体部が発見されました。
その後昭和55年に規模及び性格の確認のために発掘調査が行われ、古墳全体の形態や築造年代が推定されましたが依然として不明な点が多く、出土した遺物等から築造年代が4世紀代まで遡る可能性も指摘されています。大崎平野周辺は本格的な古墳が築造された北限の地域であり、本古墳は単に地域の古墳文化の解明のみならず、北辺域の古墳成立の実態を考える上でも重要な位置を占めています。
境内市看板より