御祭神
武甕槌神
大国主神
武御名方神
御由緒
当社は 大崎市の中央に鎮座し大正2年県の認可を得て鹿島神社・諏訪神社・諸神社を大正3年2月11日紀元節(現建国記念の日)に合祀して古川神社と改称鎮座された
はじめの鎮座地は 大崎市古川本鹿島囲と称されるところで寛永年間(江戸初期)には古川七日町に遷宮されたが 近代に入り市街地の開発やそれに伴う諸般の事情により森林の伐採も進み 人家が近くなり神威の穢れるのをきづかい現在の鎮座地となった。
鹿島神社は 由緒も古く第50代桓武天皇の延暦20年(801年) 長月に征夷大将軍坂上田村麻呂東征に際し常陸の国 鹿島神宮に祈願し凱旋の途中その神徳の著しさに感激して 兵馬を休め凱旋の式典を行う所に社殿を創建した 古川・稲葉・大柿村などを中心とする古川の鎮守神として本社の御分霊を勧請した古社で 六国史(日本三大実録)に記載する所の鹿島大神の苗裔神陸奥国三十八社の一社である。また坂上田村麻呂の守護神で
東征に際し奉持された国平定の神 大国主神(神像)も合祀し田村麻呂着帯の兜を記念として当社に奉納し その武徳を後世に伝えんが為境内地に埋め兜明神・鎧明神社を末社として勧請した
大同年間には鎮守府将軍大野東人末孫が当地の境内に一寺を建立 古川寺として当社の別当となる
諏訪神社は古川城主の守護神として勧請されたと伝えられ 合祀改称後も「お諏訪さん」の愛称で親しまれ 古川神社例大祭と 別に諏訪神社奉賛会を中心に年に一度例祭を斎行し崇敬をあつめている